「主観的」と「客観的」の意味の違いを用例とともに徹底解説

「主観的」と「客観的」の意味の違いがよくわからない!国語辞典で調べみると「個人の自由意思によるものの見方」だの「主観や主体を離れて独立」だのと小難しい記述ばかりで余計に混乱した!そんな経験はありませんか?

このページでは「主観的」と「客観的」の意味の違いを具体的な用例を使いながら国語辞典よりもわかりやすく解説しています。

「主観的」と「客観的」の意味の違いを極限までシンプルに解説

「主観的」とは、自分の好みなど、自分だけが感じるものの見方。自分の意見が他人の意見と同じとは限らない場合を表す言葉です。

「客観的」とは、調査データなどが存在したり数値で測れるため、誰もが納得できるものの見方で、自分の意見と他人の意見はほぼ一致します。

「主観的」と「客観的」の違い、もっとシンプルに理解する急所は次の2点です。国語辞典にありがちな小難しい記述の仕方を避けて要点をまとめるとこうなります。

  • 【主観的】自分だけが納得できる意見
  • 【客観的】誰もが納得できる事実



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「主観的」と「客観的」の意味の違いを具体的な用例とともに徹底解説

上の欄では、できる限り平易な表現によって「主観的」と「客観的」の違いを説明したつもりですが、それでもモヤモヤが晴れない方もおられるかと思います。

そこで具体的な用例を3つほど使いながら「主観的」と「客観的」の違いがハッキリと区別できるよう説明いたします。

「身長170cmの生徒Aくん」の場合

ある中学校のクラスに身長170cmの生徒Aくんがいるとしましょう。この生徒Aくんの身長によって「主観的」と「客観的」の違いを説明します。

「身長170cmの生徒Aくん」への主観的な意見

身長170cmのAくんよりも背の低い生徒から見ればAくんは「背が高い」ということになります。

しかし、そのクラスに180cmも身長があるBくんという存在がいた場合、BくんにとってAくんは「背が低い」存在です。

また身長が160cmに満たないCくん、実はお父さんは身長190cmのまれに見る長身です。このよう場合、CくんはAくんのことを自分よりも「背が高い」がお父さんよりは「背が低い」という意見を持つはずです。

このように人の立場や状況によってものの見方や評価が変わってしまう意見を「主観的と言います。

「身長170cmの生徒Aくん」の客観的な事実

一方で、生徒Aくんの身長が「170cm」であるという事実は誰にも動かせません。

身長180cmのBくんにとっても、身長が160cmに満たないCくんにとっても、そして身長が190cmもあるCくんのお父さんにとっても、生徒Aくんの身長は「170cm」です。

この動かせない事実、身長という数値データがあるため誰もが納得できる事実が「客観的です。

「リンゴ30個」の場合

上に述べたような数値データがある場合と同様、数であらわすことが出来る事実についても「主観的」と「客観的」の違いは簡単に区別がつきます。

この項目では、ある家庭に「リンゴ30個」が収められた箱が宅急便で届けられた場合の、「リンゴ30個」に対する「主観的」と「客観的」を比較してみます。

「リンゴ30個」への主観的な意見

家族の少ない一般家庭に「リンゴ30個」が届いたとしたら、ほとんどの人は「多い」と感じるはずです。家族では食べきれないほどのリンゴを近所におすそ分けするかもしれません。

しかし、リンゴが異常なほど好きな人が家族の中に一人だけいて、一日でリンゴを10個もたいらげてしまうほどだったとしたらどうでしょうか。リンゴは三日ともちません。きっとその家族は「リンゴ30個」を「少ない」と感じるでしょう。

また収穫シーズンになると膨大な量のリンゴを収穫し出荷しているリンゴ農家の人から見れば、「リンゴ30個」を「多い」と感じることはまずないでしょう。

状況、好み、立場によって意見が変わる上のケースが「主観的です。

「リンゴ30個」という客観的な事実

しかし、家族の少ない一般家庭にとっても、異常にリンゴが好きな人がいる家庭にとっても、そして毎年何万トンものリンゴを出荷しリンゴの匂いが身体に染み付いているようなリンゴ農家にとっても、その数は等しく「リンゴ30個」です。

身長の場合と同様「リンゴ30個」という事実は動かせません。これが客観的です。

「太陽」の場合

上に挙げた二つの用例はいずれも数値という基準があるため「主観的」と「客観的」の違いが明瞭に理解できたかと思います。

では数値という基準がないケースでは「主観的」と「客観的」の違いをどのように区別したら良いのでしょうか。

「太陽」を例に挙げて説明します。

「太陽」への主観的な意見

子供が太陽の絵を描くとき、日本の子供たちの多くは太陽を赤く塗り、西洋の子供たちの多くは太陽を黄色く塗る傾向があることが知られています。

日本人の子供たちが日本で見る太陽も、西洋人の子供たちがヨーロッパのどこかで見る太陽も同じ太陽です。太陽は一つしかありません。

しかしそれぞれの伝統や文化の影響によって、太陽の色の受け取り方は変わってきます。

太陽は赤か、黄色か。この受け取り方が「主観的」です。

「太陽」の客観的な事実

日本人の子供たちと西洋人の子供たちとで色が変わってしまう太陽ですが、両者が描く太陽には一つだけ共通点があります。

それは太陽は「丸い」という事実です。

日本人の子供たちの多くは赤くて「丸い」太陽を描きます。一方で西洋人の子供たちの多くは黄色くて「丸い」太陽を描きます。

この太陽は「丸い」という事実、これが「客観的」です。

「主観的」と「客観的」の意味の違い、まとめ

このページの冒頭に挙げた「主観的」と「客観的」の意味の違いの要点。そこだけを読んだだけではモヤモヤが解消されなかった方も、用例を通して「主観的」と「客観的」の意味の違いが少しはスッキリさせることができたでしょうか。

自分だけの意見と他人の意見との間に食い違いがありうる場合が「主観的」。自分にとっても他人にとっても同じ受け止め方しかできないことが「客観的」。この違いを極限までシンプルに言い表したのが以下の要点です。

  • 【主観的】自分だけが納得できる意見
  • 【客観的】誰もが納得できる事実



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