晴れているのに雨が降る。そんな「天気雨」をあらわす言葉「狐の嫁入り」。
このページでは「狐の嫁入り」の由来にまつわる切なくも美しい純愛物語や、他にもある言葉の由来の諸説、そして縁起などについて説明しています。
このページの目次
愛する夫のために我が身を犠牲にした美キツネお紺(おこん)の純愛物語
むかし、むかし、ある村でのお話です。
日照りに悩むその村では、村の外れにある池の龍神さまに雨乞いをすることになりました。そして龍神さまに捧げる生贄(いけにえ)として狐をだまして捕まえることにします。
村一番に頭の切れる五郎兵衛は、人に化ける狐たちが住んでいる村の村長と話し合い、色白で美しい狐の娘・お紺(おこん)を働き者の青年として評判の竹蔵に嫁入りさせることにしました。
実はその嫁入りは、お紺をだまして捕まえるための五郎兵衛の算段でした。竹蔵とお紺の祝言の席で、五郎兵衛はお紺を捕まえるつもりでいたのです。
そして迎えた竹蔵とお紺の祝言の日。
祝言の最中にお紺を捕まえる準備を五郎兵衛が進める中、祝言の席で意外なことが起こりました。五郎兵衛の魂胆を知った竹蔵が、お紺を逃がそうとしたのです。
「逃げろお紺!この祝言はお前をつかまえるための罠だ!」
しかしお紺は逃げませんでした。お紺は以前から、働き者の竹蔵のことが好きでした。そして愛する竹蔵と、竹蔵が愛する村のために我が身を犠牲にすることを選んだのです。
「竹蔵さん、あなたが好きでした。いつも村に来てあなたのことを眺めていました。あなたと少しの間だけでも夫婦になれた私は幸せ者です」
お紺の強い願いにより祝言は最後まで執り行われました。祝言が終わり、お紺は竹蔵に別れを告げると、生贄として龍神さまに連れ去られてしまいました。
そして神主が雨乞いの祝詞を奏上します。するとほどなくして空は晴れ渡っているにもかかわらず、大粒の雨が降り出しました。それはまるでお紺の涙のようでした。
その雨を村人たちは喜んだものの、竹蔵はその後もお紺のことを悔やみ続けるのでした。
「狐の嫁入り」の言葉の由来として伝わる昔話2選
「狐の嫁入り」という言葉の由来になっていると言われる昔話は、お紺の純愛物語以外にも数多く語り伝えられています。
その中から、「狐の嫁入り」の言葉の由来として最も有名な言い伝え。一番もっともらしく聞こえる言い伝えの二編をご紹介します。
最も有名な言い伝え「絶対人に見られたらいけない狐の嫁入り」
狐の娘が嫁入りすることになりました。
しかし狐の世界には、嫁入りに関してとても厳しいルールがあったのです。それは、狐が嫁入りするときは絶対にその姿を人間たちに見られてはいけないというものです。
そこで人間たちに見つからずに嫁入りの祝言を済ますために考えに考え抜いたある狐が、持ち前の人を化かす力を発揮することにしました。
その狐がやったこと。それはニセモノの雨を降らせるということでした。
狐には雨雲を呼び寄せて雨を降らせるような雨乞いをする知恵はありませんでした。
しかし狐は、葉っぱをニセモノのお金に変えてこれまで多くの人をだましてきました。そのトリックを賢い狐は天候に応用したのです。
そしてニセモノの雨で人間たちの目をあざむき、雨が降ってきたことに驚いた人間たちが大あわててで家の中に入ったそのスキに、狐は嫁入りの祝言を終えたのです。
黒澤明監督、晩年の名作映画『夢』。ショートフィルムの短編集であるその映画の最初のお話が「狐の嫁入り」でした。その映画の中で「狐はね、それ(嫁入り姿)を見られるのをとても嫌がるの」というセリフが出ててきます。このセリフは上にご紹介した昔話にヒントを得ているのでしょう。
由来として一番もっともらしい「説明がつかない超常現象は狐の仕業」
江戸時代、農村の婚礼は夕方から夜にかけて開かれていました。昼は畑仕事で忙しいので、村人が集まりやすい夜が選ばれていたようです。
これはそんな時代のお話です。
その頃、小さな村ではいつ誰が結婚するのかを村人はみんな知っていました。だから、夜中の道を提灯の明かりを下げた行列が通ればそれが花嫁行列だとすぐにわかりました。
でも、誰も結婚する日でないはずなのに明かりの行列が見えることがたまにありました。
この明かりの行列は、きっと狐の結婚式=狐の嫁入りに違いない。村人たちはそう考え、この明かりはまた「狐火」とも呼ばれるようにもなりました。
そして説明のしようがない不思議な現象を、人を化かす狐と結びつけて考えた村人たちは、晴れているのに雨が降るという不思議な現象も狐と結びつけて考えるようになりました。
説明できない不思議な真夜中の明かり=狐の嫁入り=説明できない不思議な天気雨
これが、一番「もっともらしい」とされている由来です。
まだ電気もない時代。夜は今よりもずっと真っ暗でした。そんな闇夜の中、農村などでは「狐火」がよく見られたと言います。「狐火」というと怪奇現象みたいに思われがちですが、これは土中のリンが自然発火して起こる物理現象です。新潟県阿賀町津川地区や東京都北区の一角では、江戸時代にはこの「狐火」が頻繁に見えるスポットがあったそうで「狐火」の名所とも呼ばれていました。
「狐の嫁入り」は古来より吉兆をあらわし縁起が良いものと言われていた
古くから語り伝えられて来た「狐の嫁入り」伝説ですが、「狐の嫁入り」すなわち「天気雨」は縁起が良いのか悪いのか、気にしている人が少なくありません。
「狐の嫁入り」の縁起の良し悪しは根拠のない噂も含めて諸説あるのですが、狐と神様の関係を知ることで「狐の嫁入り」は吉兆で縁起の良いものとする説に納得できると思います。
狐と神様といえば思い出すのが稲荷神社。京都の伏見稲荷を筆頭に最もたくさんある神社が稲荷神社です。
さて、その稲荷神社には狛犬の代わりに狐の石像が立っています。たいていの神社は狛犬なのに、稲荷神社は何故か犬でなく狐です。その理由をご存知ですか?
稲荷神社におまつりされている神様・稲荷神(いなりのかみ、いなりしん)は、穀物・農業を守ってくれる神様です。
そして狐は、稲作にとって害獣のネズミを食べることから、稲荷神の使いと信じられるようになりました。これが稲荷神社に狐の石像が立っている理由です。
さて、神様の使いである狐のめでたい結婚です。縁起が悪いわけがありません。
こんな話もあります。
東京都北区にある王子稲荷神社は、江戸時代には狐火の「狐の嫁入り」の名所でした。そして大晦日の晩に「狐の嫁入り」をたくさん見ることができると、その次の年には豊作になったと人々は喜んだと記録に残されています。
狐火の「狐の嫁入り」だけでなく、天気雨の「狐の嫁入り」も日本各地で願いが叶う吉兆と信じられています。
実際、狐と縁の深い稲作にとって雨は天の恵みです。晴れているのに雨が降る。これほどありがたいことはないのではないでしょうか。
「天気雨」は、不思議なことに海外でも動物と結婚を結びつけて表現されています。アフリカでは猿やジャッカル、ブルガリアの一部地方では熊、お隣の韓国では虎。それぞれの動物たちの結婚が「天気雨」の呼び名となっています。そしてなんと、イタリアやイギリスの一部地方では日本と同じ【狐】です。
「狐の嫁入り」まとめ
普段、何気なく使っている「狐の嫁入り」という言葉の裏側には、これほど多彩な物語が秘められています。
日照り続きのときに降る恵みの雨を「干天の慈雨(かんてんのじう)」と言いますが、晴れているのに雨が降る「狐の嫁入り」はまさに「干天の慈雨」です。
「干天の慈雨」にはまた、、困っているときにさしのべられる救いの手という意味も含まれています。救いの手、すなわち縁起の良い吉兆です。
もし「狐の嫁入り」を体験したら、心から喜ぶべきことではないでしょうか。