「名字」と「苗字」の違いと使い分けを「氏」と「姓」の歴史と共に解説

「名字」と「苗字」をどう使い分けたら良いのかわからないとお困りですか?そんなあなたに朗報です!「名字」と「苗字」の使い分け方、実はとっても簡単なんです!

「名字」と「苗字」は現代ではまったく同じ意味の言葉です。ただし「名字」は常用漢字なので公用文などでは迷わず「名字」を選択。個人的なメールはどちらでもOKです。

使い分け方のポイントはたったこれだけです。

では、なぜ同じ意味の言葉が二つもあるのでしょうか。その背景にはちょっとややこしい歴史があります。このページでは「名字」と「苗字」の歴史をわかりやすく伝え、「名字」と「苗字」を自信を持って使い分けていただけることをゴールにしています。

「名字」と「苗字」の違いを【使い分け方】と【歴史】で区別するポイント

▼「名字」と「苗字」の使い分け方を区別する3つのポイント

  1. 「名字」と「苗字」は現代ではまったく同じ意味の言葉
  2. 学校のテストや公用文では迷わず常用漢字の「名字」を使う
  3. 個人的なメールなどは「名字」と「苗字」のどちらでもOK

▼「名字」と「苗字」、歴史の中での違い3つのポイント

  1. 「名字」の方が歴史が古く平安時代生まれ
  2. 「苗字」は江戸時代生まれ
  3. 「名字」だけが常用漢字になった

【使い分け方】「名字」と「苗字」

このページのはじめにも述べた通り、「名字」と「苗字」は現代ではまったく同じ意味の言葉として用いられています。二つの言葉の間に意味の違いはまったくありません。

だから、個人的な手紙やメールなどではどちらを使っても構いません。画数が少なくて楽だからという理由で「名字」を使っても、見た目の良さで「苗字」にしても問題なしです。

しかし、公用文や学校のテストの解答用紙などでは迷わずに「名字」を使ってください。

なぜなら「名字」は常用漢字だからです。公用文や学校のテストでは常用漢字の使用を定めています。学校のテストの解答用紙に「苗字」と書いたらそれは不正解です。

学生さんなら普段から「名字」を使い慣れておくことで、テストでのうっかりミスを防ぐことができるかもしれませんね。

【歴史】「名字」と「苗字」の誕生から現代までのざっくりした流れ

「名字」と「苗字」は同じ意味の言葉として使われていますが、それはあくまでも現代の話です。歴史の中では「名字」と「苗字」は生まれた時代がまったく異なります。

ここからは「名字」と「苗字」それぞれの歴史的は背景をご説明します。これを読めばあなたも「名字」と「苗字」を自信を持って使い分けることができるようになりますよ。

平安時代に生まれた「名字」

平安時代(794年〜1192年)。京のみやこで貴族たちがまったりと暮らしているその頃、地方では武士が力をつけはじめていました。

当時、武士たちが所有している土地は「名田(みょうでん)」と呼ばれていましたが、武士たちはその所有権を主張するために「名田」のある土地の地名を、もともと持っていた名前とは別に名乗り始めました。

この、もともと持っていた名前とは別の名前のことを「(あざな)」といい、「田」の地名に由来する「」であることから「名字」という言葉が誕生したと言われています。

江戸時代に生まれた「苗字」

もともとは地名に由来した「名字」でしたが、家や一族をあらわす意味合いが濃くなった江戸時代、「みょう」の漢字が「名」から「苗」に差し替えられました。

「苗」という漢字は、中国の古典などで使われている「苗裔(びょうえい)」という言葉に含まれている「苗」に由来します。

「苗裔」とは遠い子孫、末裔、末孫などの意味を持つ言葉で、ある先祖の系統をひく人や一族をあらわしています。

平安時代に地名から生まれた「名字」は、江戸時代に一族のつながりをあらわす「苗字」へと変化していったのです。

明治時代は「苗字」、昭和時代に「名字」に

江戸時代に生まれた「苗字」は明治時代に入っても引き続き使われていました。

明治3年(1870年)に出された「平民苗字許可令」や、明治8年(1875年)の「平民苗字必称義務令」などの法令名に「苗字」が使われていることから明治時代の使用を確かめることができます。

しかし、昭和21年(1946年)に告示された「当用漢字表」の中で、「苗」という漢字の「みょう」という読み方が削除されてしまいました。

「当用漢字表」を引き継いだ「常用漢字表」の中でも「苗」の読み方として「みょう」が復活することはなく、常用漢字の使用が定められている公用文などでは「苗字」という表示を用いることができず「名字」と表記することになりました。

コラム:日本人の名字の種類が圧倒的に多い理由
日本人の名字は約30万種類もあり、世界の中で圧倒的な多さです。その理由の一つが明治時代に発布された「平民苗字必称義務令」にあると言われています。江戸幕府の崩壊後、明治新政府は「平民苗字許可令」を出したものの、個人名だけで充分と考える多くの庶民は苗字の届け出を拒みました。しかしそれでは行政上の不都合が発生するため新政府は「平民苗字必称義務令」で苗字を義務付けました。ようやく重い腰を上げた庶民の多くは我が家の苗字を考えて欲しいと近所のお寺に殺到。苗字をつくって欲しいという依頼のあまりの多さに悲鳴をあげたお寺は、その場の思いつきで次々と苗字を創作。その結果、苗字が膨大な量にのぼることになったのだそうです。

【もっとディープな歴史】「名字」、「氏」、「姓」の違い

以上、「名字」と「苗字」の違いを説明しましたが、鋭いあなたはきっと疑問に感じているはずです。

平安時代に力をつけてきた武士たちは「名田」を由来として「名字」をつける以前は、家の名前を持っていなかったのだろうかと。また「名字」や「苗字」と似た言葉「」や「」の存在のことも気にされているかと思います。

そこで「氏」と「姓」についてもざっくりとではありますが解説させていただきます。

「氏」と「姓」の違い

「氏」と「姓」、それぞれの言葉の意味は次の通りです。現代ではほぼ同じ意味の言葉として使われている「氏」と「姓」ですが、実はこれほど違うものなのです。

  • 【氏(うじ)】共通の祖先を持つ同族とされる血縁集団。氏族。
  • 【姓(かばね)】天皇から有力な氏族に与えられた地位を示す称号。

大和朝廷成立後、「氏」と「姓」は朝廷に仕える血縁集団として「姓氏(せいし)」へと統合再編されました。

「名字」の誕生

上に述べた通り「名字」は平安時代に誕生しましたが、この言葉が生まれたのには次のような背景があります。

例えば藤原氏という氏族を例にあげます。

藤原という氏を名乗る一族は日本各地に散らばりましたが、それぞれの藤原家が各地で支配する土地の所有権を主張したいという事情。他の地域の藤原と自分たちとを区別したい事情などが重なり、地名と氏を組み合わせて「名字」を作りました。

だから加藤だから伊藤。こんな具合です。

もちろん、土地の地名をそのまま「名字」にした例も多数存在します。

「氏」、「姓」、「名字」は具体的にどのように使われていたのか?

血縁をあらわす「氏」」、職掌や身分をあらわす「姓」、そして地名に由来する「名字」。これらに加えて個人名。一体、どのように使われていたのでしょうか。

有名な歴史上の人物の二人の名前をサンプルにして説明いたします。二人の人物とは徳川家康織田信長です。

現代人の感覚で言えば、この二人の名前は「名字」と「個人名」で次のように分けて考えるはずです。

名字個人名
徳川家康
織田信長

ところがこの二人の人物の本当の名前はこんなに長いのです。

【徳川家康】源朝臣徳川次郎三郎家康
【織田信長】平朝臣織田三郎信長

この妙に長い名前は「氏」「姓」「名字」「通称」「実名」の5つのパートから構成され、次のように分けることができます。

名字通称実名
朝臣徳川次郎三郎家康
朝臣織田三郎信長

地名から「名字」をつくったのは、家や一族をあらわす名前がなかったからではないことが、この二人の歴史上の人物の本当の名前からおわかりいただけるかと思います。

「名字」と「苗字」の違いと使い分け、まとめ

以上、大変長くなってしまいましたが、このページをご覧下さった方の多くがそもそも知りたかったことは歴史ではなく「名字」と「苗字」を正しく使い分けることかと思います。

そこで最後にもう一度、「名字」と「苗字」を正しく使い分けるポイントをまとめて、このページの記事を終わりにさせていただきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

  1. 「名字」と「苗字」は現代ではまったく同じ意味の言葉
  2. 学校のテストや公用文では迷わず常用漢字の「名字」を使う
  3. 個人的なメールなどは「名字」と「苗字」のどちらでもOK