「背広」と「スーツ」の違いは女性用の有無にある

「背広」と「スーツ」は同じものです。「背広」も「スーツ」も、上着とズボン(そしてベスト)を同じ布地で作った一揃いの洋服のことを意味します。

一部のファッション用語辞典では両者を区別しているものもありますが基本的に一緒です。ただし、女性用の有無で以下のような違いが存在します

 女性用男性用
背広ないある
スーツあるある

このページでは女性用の「背広」がない理由。また、日本では「背広」と同じものとされている「スーツ」の歴史について解説しています。

女性用の「背広」がない理由

「背広」も「スーツ」も同じ布地で作った一揃いの洋服を意味しますが、女性用の「スーツ」は存在しても、女性用の「背広」はありません。

全く同じものでありながら「スーツ」は男性用・女性用があるのに対して、「背広」には女性用がない。また、女性用の「スーツ」を「背広」とは呼ばないのでしょうか。

このことは「背広」という言葉の語源と関係しています。

「背広」という言葉の語源は特定されていないのですが、「背広」という言葉の語源について一つだけはっきりしていることがあります。

それは「背広」という洋服が日本に知られるようになった幕末から明治初期。「背広」は男性限定の服として日本に上陸したという事実です。

「背広」はあくまでも男性用であり、女性が「背広」を着用するという発想は当時の日本人はもちろんのこと「背広」のルーツを持つ西洋人にも皆無でした。

そのため「背広」は男性用しかないのです。

一方、「背広」に代わって「スーツ」という言葉が日本国内で普及してきた頃、働く女性の間にも「同じ布地で作った一揃いの洋服」を着用する習慣が広まりました。

そのため「スーツ」だけに女性用が存在するということになったのだそうです。

日本では「背広」と同じものとされる「スーツ」の歴史

日本では「背広」と同じものとされる、同じ布地で作った一揃いの洋服としての「スーツ」が誕生したのは19世紀末から20世紀初頭のイギリスでした。

19世紀頃まで、イギリスの上流階級の紳士たちには厳しい服装の慣習が存在しました。

午前中の正装とされる「モーニング・コート」の着用が許されるのは昼頃まで。昼過ぎからは昼間の正装「フロック・コート」に着替えねばなりませんでした。

そして夜になれば、夜会などで着用する夜の正装「テール・コート(燕尾服)」を着用。

しかも、いずれの正装も身体に密着するようなタイトな仕上がりとなっていたため、窮屈極まりなかったと伝えられています。

そんな中、自宅のラウンジ(談話室)で心も体もくつろげるゆったりした服装が求められるようになり、ラウンジスーツと呼ばれるラフな服装が登場します。

ところでこの当時の英国紳士の定番の服装といえば、黒いフロック・コートと明るい色や縞模様の入ったズボンが主流でした。

しかし、ラウンジスーツの登場と同時に上着もズボンも同じ服地・同じ色や柄のものがつくられるようになり、気軽に着用できる正装として庶民にも普及。

それが現在の「スーツ」の原型になりました。

「背広」と「スーツ」の違い、まとめ

「背広」と「スーツ」の違い、このページの解説でおわかりいただけましたでしょうか。最後にもう一度、「背広」と「スーツ」の違いのポイントを以下にまとめます。頭の中の整理にお役立てください。

 背広スーツ
女性用ないある
男性用あるある
意味同じ布地で作った一揃いの洋服