身に覚えのない罪を着せられることを「濡れ衣(ぬれぎぬ)」と言いますが、そもそもどうして濡れた衣が身に覚えのない罪につながるのでしょうか。
この記事では「濡れ衣」という言葉の由来(語源)としてよく知られる四つの説と、その中でも最有力説と目されている8世紀の筑前國(福岡県)の悲しい物語をまとめています。
「濡れ衣」という言葉の由来(語源)四つの説
【1:最有力説】父親が再婚した娘の悲劇説
8世紀頃のこと。父親の再婚相手からその美しさを妬まれた娘は、その再婚相手から漁師の衣を盗んだと身に覚えのない罪を着せられました。
潔白を訴える娘でしたが、再婚相手は容赦はしませんでした。
再婚相手は、娘が眠っている間にその寝床に海水に濡れた漁師の衣を忍び込ませたのです。娘が漁師の衣を盗んだと誤解した父親は娘を亡きものとし、この悲劇が濡れ衣の由来(語源)の最有力説とされています。
【2】海女(あま)の濡れた衣由来説
水中にもぐることを古い日本語で「かずく(潜く)」と言います。この「かずく」という言葉が、責任を他人に転嫁することを意味する「かずく(被く)」と同じ音であること。
そして、水中にもぐる(かずく)海女(あま)の衣は海水で常に濡れていることから、濡れた衣が他人に責任を転嫁する「かずく」の意味を持つようになったとする説もあります。
【3】神話の誓い(うけい)由来説
日本の神話では、神々が自らの潔白を証明するために「誓い(うけい)」と呼ばれる一種の占いを行う場面が数多く描かれています。
その中の一つで、ある神が自らの潔白を証明するために、濡れた衣が乾けば無罪、濡れた衣が乾かなければ有罪になるとの占いを行いました。
この時の「誓い(うけい)」を由来とする説も存在します。
【4】古今集の和歌由来説
古今集に次のような和歌が載っています。
かきくらし ことはふらなむ 春の雨に 濡衣きせて 君をとどめむ
この和歌の意訳は「こんな春雨が降る中を、衣を濡らしてまで帰らなくても良いでしょうと言って、私は愛するあの人を留めようとした」です。
愛する人を引き留めるために春雨によって衣が濡れてしまうから帰らないで欲しいと、春雨に罪を着せたことから、濡れ衣=罪を着せるになったというこの説は最古の由来説です。
最有力説は福岡市博多区に立つ「濡衣塚」の物語
さて、最有力説としてご紹介した「父親が再婚した娘の悲劇説」。これは8世紀の筑前國(福岡県)に実際にあった史実です。
福岡県福岡市博多区。市内を南北に流れる御笠川沿いの歩道(国道3号線沿い)に立っている「濡衣塚(ぬれぎぬづか)」。
この石碑に刻まれている悲しい物語が「濡れ衣」という言葉の由来(語源)の最有力説と言われています。
西暦724年から749年の聖武天皇の時代。
国司(国の行政官)に任命され、現在の福岡県に当たる筑前國に赴任した佐野近世という名の男は、妻と一人娘の春姫の家族三人で暮らしていたものの、妻が急逝します。
佐野近世はほどなくして再婚。後妻との間に娘が生まれました。
しかし後妻は自分の娘が生まれると、佐野近世の連れ子である春姫が邪魔になりました。
後妻は、春姫が漁師の衣を盗んだと告発するものの、春姫は潔白を訴えます。
しかし春姫を陥れたい一心の後妻は、春姫が眠っているすきに春姫に漁師の濡れた衣を着せたうえで、春姫が漁師の衣を盗んだ動かぬ証拠だと主張。
後妻の言葉を信じてしまった佐野近世は実の娘である春姫を斬ってしまいます。
その後、佐野近世の夢枕に立つ春姫が自分が無実であることを訴え続け、自分の過ちをようやく悟った佐野近世は自らの行いを悔い「濡衣塚」を建立。亡き娘を弔ったそうです。
この奈良時代の悲劇が「濡れ衣」という言葉の由来(語源)の最有力説と言われています。